2020年12月8日火曜日

【惜別 185系特急踊り子・F4ファントム撮影備忘録 その1】

とっくの昔にF4は退役していると思っていましたが実はまだ飛んでいた。

ニュースでいよいよ今年度中に退役というニュースを見たのは確か11月。
その時はそうですかというくらいの受け止めでしたがいざ12月になるとやっぱり生で雄姿を見たいという気持ちが芽生えてしまいます。

ファントムと言えば漫画の「ファントム無頼」でもおなじみの百里基地。
微妙に近所の岐阜基地にも航空開発実験団のF4が12月までおるみたいですが実戦配備の百里基地のファントムに会いたい。

Twitter情報的には12月の第一週で百里のファントムはファイナルを迎えたようですがまだ12月の初旬だから飛ぶかもしれないという根拠不明な期待から
有給消化も兼ねて日月で茨城県は土浦の百里基地まで急遽遠征に行ってきます。
土曜日の勤務後、夜に帰宅して21時に就寝して床に就きますがやはりいつもと違う時間で眠れず。浅い眠りについたと思ったら出発時刻の午前2時。

京都市を午前2時過ぎに出発しますが訓練飛行のある平日の百里基地は月曜日ですので日曜日は寄り道。
もう一つの目的は来春のダイヤ改正で定期運用から去ってしまう国鉄型特急185系。
東日本に残っていた国鉄型特急もいよいよ見納め。東でよくここまで残っていたなというのが正直なところですが。
茨城までに寄り道しやすい撮影地という事で1月2日にお邪魔していた東神奈川カーブへ。

前回はメインの東京12時発の踊り子115号が曇天で再履修決定でしたので今回は再試験。
3035M 踊り子115号 JR東海道本線 新子安-東神奈川(20年1月2日)


やっぱり夜は眠い。
1時間半が経過して3時半頃に伊勢湾岸道を走行中に猛烈な睡魔が襲ってきます。
一人旅をしていると毎回過去の楽しかった頃の思い出も走馬灯のように出現するのは常。
湾岸道のネオンが流れる中に過去の思い出も心の中を流れていく。名古屋は水族館とか味仙とか蓬莱軒とかなばなの里とかとかとか。大学時代からのたくさんの思い出が詰まっている。

「横浜リリー」がちょうど流れていて余計にしんみりとなってお決まりの号泣モードに突入(苦笑)でも待て。目的地は横浜でここはまだ名古屋市。
横浜リリーで泣いたおかげで睡魔を克服出来た。横浜にたどり着く前に名古屋でくじけている場合ではない。

そう言いながらも睡魔の第2波がやってきたのは時間の問題。
静岡県内がとにかく長い。4時頃に早くも第2波が襲来。と、ここでAIの「Story」が流れてきた。

「♪一人じゃないから キミが私を守るから 強くなれる もう何も怖くないヨ
時がなだめてく 痛みと共に流れてく 日の光がやさしく照らしてくれる・・・・

何かあるならいつでも頼ってほしい 疲れた時は肩をかすから
どんなに強がっても ため息くらいする時もある
孤独じゃ重い扉も 共に立ち上がればまた動き始める

一人じゃないから 私がキミを守るから あなたの笑う顔が見たいと思うから
時がなだめてく 痛みと共に流れてく 日の光がやさしく照らしてくれる
時に人は傷付き傷付けながら 染まる色はそれぞ違うケド・・・・♪♪♪」

一人カラオケで熱唱して睡魔を吹き飛ばしていたけど歌詞を噛みしめると号泣も第2波襲来。
やっぱり夜道をしんみりする歌を聴きながら走ると心に沁みまくって激痛。

なんか備忘録から脱線しまくって病んでるおっさんの心理レポートになりかけているしストップ。

号泣モードが続くと泣き疲れもあって結局、清水SAでシートを倒すと30分爆睡してすっきり回復。やっぱ睡眠って大切。
5時から5時半の仮眠で心身リフレッシュとなり一気に東名横浜町田ICまで爆走し横浜新道から東神奈川の撮影ポイントまで駆け抜けます。

7時30分に到着しましたが185系定期運用の終了アナウンス後かつ日曜なので鉄が既に湧いていたらキャパ的に無理なので新たな撮影地を探す事になってしまいますが幸い一番乗り。
今回は1月と違って朝方はドン曇り。晴れ予報のはずなんだけどなーとボヤいてしまいますが天気はコロコロ変わるものでメインの12時過ぎが晴れたら全て良し。て、事で5時間待機。


9時に1発目の踊り子1号がやってきましたが東海道線の線路を通らずに湘南新宿ラインの線路を通過するので見送り。素人なので焦って「踊り子、走る線路変わりましたか?」と周りに聞いたら「新宿発なので東海道線とは違う線路で通過するんですよ」との事。

そして東海道線走行1発目の踊り子3号は曇り空の中をやってきた。
こんな天気が続いたら1月のデジャブで寄り道した意義が潰えてしまいますがとにかく待ちましょう。
3023M 踊り子3号 JR東海道本線 新子安-東神奈川


9時過ぎからぱらぱら人が集まりだしますがキャパ少ないので5人で限界。
通行量の多い歩道ですので直列に並ぶしかありません。ラスト1名は前に入れてあげます。なんでも東京の端っこから1000円もかけてやってきたと。
学生さんでお金がほんとにカツカツなんだと思うけどだからこそせっかくの機会だからお互い良い写真を撮りたい。譲り合いの精神は大切にしましょう。

E257のリニューアル車やサフィール踊り子も通過していきますがどいつもなかなか素敵な塗装。藍色が美しい。途中に時刻表にないE257が通過しましたが15連の運用に備えての試運転でしょうか。この時くらいから陽が出てきた。

3027M 踊り子7号(トリミング)


雲が多い時間ばかりでしたが11時半くらいから青空も見えるようになってきました。
これはもしやと思いますが12時を過ぎても青空。バリ順、気持ちいいねと周りの学生もウキウキ。5時間待った甲斐がありました。本番の踊り子13号は無事にバリ順で捕獲。

3033M 踊り子13号


やったぜ卒業と一瞬思いましたがよく見たらピンが甘い。RAW現像でシャープネスをいじって誤魔化していますがピン甘。そして右端の横浜線のホッチキスも映り込んでいます。
超望遠だら雲台をミリ単位で調整していましたが最後の最後の微調整で変な力をかけてしまったのかと後悔しても始まりません。

さて、日曜日のメインはこれにて終了。卒業し切れませんでしたが3月までにまた踊り子に会いに来るとしたらキャパのある平塚-茅ケ崎の相模川の土手やネブハヤにします。

この日の宿は茨城県潮来市のかんぽの宿潮来。読めますか?海に近いから「しおこ」と思っていましたが「いたこ」と読むらしい。
理由は百里基地に向かう前に鹿島貨物を北浦で撮影したかったから。土日もウヤじゃないから行ってきますと鉄おくんに別れ際に言ったら日曜は荷が少なくて1092レはスカスカ。
月曜早朝の1095レは東京貨物を日曜発で荷物なしだから単機で残念ですよと。

週中に来るのがベストのようですが勤務の兼ね合いからも週中に休みを取るのはかなり前からの調整が必要であり致しかなし。
単機だろうと空コキだろうと北浦を渡る貨物を見れるならそれで良し。

首都高神奈川1号横羽線に乗れば湾岸を流して8号湾岸線に入り羽田空港、JR貨物東京貨物ターミナルを右手に眺めながら北上。思わず羽田から離陸するJALが見えたら敬礼。
お台場を過ぎたらネズミの王国も見えてきてまた過去の楽しい思い出がフラッシュバックしてきて涙しながら東関東自動車道へ。

だんだん田舎になってきた。それにても成田空港も通りましたが都心から遠い。そりゃ羽田空港を利用したくなる。
東関東自動車道は終点の潮来まで行かずに途中下車して茨城を感じようと試みましたが田んぼばかりで特に感じる事なく国道51号を東に進むと坂東太郎と名高い利根川にやってきます。
おぉ。これが関東平野を潤す利根川か、と思いましたがぱっと見は淀川と言われてもわからん。淀川にも見えたけど人生初の茨城入国と生利根川を体験出来てなんだか嬉しいものですね。

潮来にはなんもなさそう。(潮来の人、ごめんなさい)
横浜から走る事2時間で到着しましたが鹿島貨物の撮影地の北浦は橋のたもとですから迷う事はまずなさそう。
ならば1092レは鹿島スタジアムを15時53分発なのでまだ時間があるし鹿島神宮にお参りです。調べてみたら武神で武道の神様でかなりの歴史があるらしい。


鹿島という辺境の地に2千年以上前からあるというのが驚き。日本各地に歴史深いものが沢山あるものだと改めて感じさせられます。
日曜だけど車の出入りもあまりない。日没も近いからかコロナのせいなのか。密じゃないから散歩くらいしても良いのになと思いながらふらりと境内を散策。

15時も回ったので鹿島神宮を離れて北浦に移動。
燃えるような夕焼けとは程遠いけどとろ火の下、長閑に北浦を渡る1092レ。確かにスカスカのコキだけど初の北浦で鹿島貨物を見る事が出来ました。

1092レ EF65-2117号機+コキ 鹿島線 延方-鹿島神宮


これにて1日目の予定は終了。この後はかんぽの宿潮来にチェックインを済ませたけど夕食を何処で食べるか。
茨城の名物は何ですかと聞いてもごめん、何もありません的な答えが多い。確かに何もない。(茨城の人ごめんなさい)
「一応」メロンとかイチゴとか常陸牛とかあるけどという答えもありましたが。あとは大洗のアンコウ鍋。けど関西のフグの方がよっぽどいいでしょという答えも。

茨城は蕎麦も作っているらしいので結局鹿嶋市内に再度向かってお蕎麦屋さんへ。
「ここのそば粉は茨城産ですか」と玄人風を吹かせたい訳ではなく純粋に訪ねた土地の食べ物を食べたくて聞いたのですがおかみさん、少しうっとうしそうな感が。
たぶん北海道産とか色々ブレンドしてるはずですとの事。作っている蕎麦の身元もはっきりしとらんのかこの店はとこっちも少しがっかりしてせいろ蕎麦だけを食して早々に終了。

茨城の夜は暗く寂しい・・・。帰りのセブンでスイーツを買い宿で満たされぬ腹の足しに。
午前2時から動き続け明日は百里基地に移動してからの帰京で往路以上のしんどさが予想されます。20時には消灯です。おやすみなさい。


世の中は相変わらずコロナが猛威を振るい外出そのものを規制しかねる状況になりかねません。
確かに感染が広がっているのは事実ですが重症者の内訳が語られぬまま「重症者」という単語ばかりがクローズアップされマスコミ報道で更なる恐怖を生み出しているように見えます。

経済を回す、経済を維持する事で廃業や自死を防ぐ意味でも重症化しにくい若年健常者は節度ある行動で普段通り生活すべきだと思います。
いかに基礎疾患のある高齢者や若年者でも基礎疾患のある人をコロナにさらさないようにするかは大切でもありそのバランスが大事なのは誰もが感じているはず。
命の切り捨て、弱者を見捨てる気か等と言う人が出てくるのは常ですが全介助、寝たきりで意思疎通困難な高齢者が重症化するのはインフルエンザだろうと肺炎だろうと同様。
無限の命があるわけではないのでそれはコロナ感染症と切り離して語るべきだと考えます。

「重症者」
重症者にはどのような患者さんが含まれているのかという事も明らかにして欲しいです。


2日目につづく



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