2024年8月17日土曜日

【黒部五郎・鷲羽・水晶岳登頂備忘録 その2】 24’8/10-13

その1からのつづき

day2 日曜日
2日目は4時30分起床、5時からの朝食で始まります。外を見てみたら空には雲はなく2日目も晴みたい。一安心して朝食を済ませて6時過ぎには出発です。2日目は黒部五郎小舎から三俣蓮華岳、三俣山荘からのメインの鷲羽岳。その後は雲ノ平経由で高天原山荘着という予定。



山小屋と記念撮影をして三俣蓮華方面へと向かいます。小屋の裏側に通じる登山道がありそこからいきなり急登が始まりますが個人的には急登で一気に高度を稼いでさっさと目的地に到着出来たらそれでよい。でも、高度を稼いでもまた下っては登っての繰り返しが登山の苦しみの一つでもあります。振り返ると左手に笠ヶ岳、右手に昨日午後ガスっていた黒部五郎岳が憎たらしいくらいにはっきりと見る事が出来ます。黒部五郎岳の更に右手には薬師岳も見え雄大な景色の下、登攀を続けます。





右手に丸山、双六岳方面を眺めながら進みますが三俣は岐阜、富山、長野の境界上にあるから「みつまた」らしい。今回の登山に向けて大将は猛勉強してきたようで各所でポールを振りかざしながら講釈をしてくださり山博士となっていたのには驚き。やはり旧帝国大学出身の脳味噌は違います。





行動開始から約1時間30分くらいで山頂か山荘への巻道かの分岐点に到着しましたがここは勿論三俣蓮華岳に登頂するしかないでしょうと余裕の三股ポーズをとる余裕があったけど元気だったのはこの時までくらい。良い天気で午前のまだ早い時間というのもデカい。午後からはガスるからみんな日の出前から登山に向かうのに納得。



そして更に30分登り続け行動開始から約2時間、8時頃に三俣蓮華岳に到着。三俣蓮華岳は登山道の要衝のようで黒部五郎小舎、三俣山荘、双六小屋という3つの山小屋の人々が行きかっており多くの人で賑わっていました。遠くは穂高連峰を背景に望め槍ヶ岳の威容はこの地からでも感じる事が出来ます。三俣蓮華の登頂だけど皆さん槍と一緒に撮ってと槍ヶ岳はやはり人気なのですね。うちらも槍さんと撮って下さいとお願いしていましたが・・・。




双六岳方面もいつかは行ってみたいですが今回は三俣山荘、鷲羽岳方面に降りていきます。眼下には三俣山荘とその先にそびえる鷲羽岳が見えます。北ノ俣岳から絶望的な距離と思っていた鷲羽岳ですが目の前にあると気楽に思えてきますが2時間以上かかる訳であり段々と感覚がおかしくなってきている。




三俣山荘のテン場まで来ましたがその先がスタフにより通行止になっています。何事かと思ったけど救助ヘリが来て収容するので5分くらいお待ちくださいとの事。ヘリの音がしてたけどここ、三俣山荘を目指していたようで。鋭く旋回して着陸したと思うと数分で西の方へ飛び立っていきました。富山県警の「つるぎ」号のようで足を負傷した登山者を救助しに来たようです。こんな奥地までヘリを飛ばし救助しに来てくれる県警航空隊並びに山岳救助隊には尊敬の念しかありません。警察官ってどーしよーもないやる気も正義感もないしょーもない人もいれば自分の命の危険と隣り合わせで人の為に頑張る人も居たりと両極端だと個人的には改めて思った。まあ、どの職種も一緒で同じ資格職でもしょーもないのとまともなのと二分化されるもんですよね。



ヘリが飛び立ったので三俣山荘に立ち寄りますが時間も押しており山荘前で小休止に留めて先を急ぐ事になります。今回の登山では大将がエンジン全開、ひでさんはいつも通り、自分はなんかしんどくてペースが上がらん状態。大将は奈良で音羽山に登って鍛えていたと言っているけど月に2回くらいで変わるとは思えん。ラグビー部の主将まで務めていた地体力が根本的に違うんだと改めて感じました。休憩したい自分、先を急ぎたい大将というジレンマを抱えながら再始動。




鷲羽岳は目の前だしすぐ着くわと思ったけどこちらも急登が続きます。九十九折にのろのろよぼよぼと登り続けますがマジなんでこんな事を繰り返しているんやと自分を呪ってしまう。ガレ場、岩場を越え続けて進みますがなかなか頂上まで到達せん。先頭を行く大将が三俣蓮華岳、黒部五郎岳バックに撮ってくれたので山岳会所属の山本君風にガッツポーズをしてみたけど猫背で口元は苦悶に歪み全くもって様になっとらん。




大将が撮影したいと言っていた鷲羽池と槍ヶ岳のコラボですが有名撮影スポットなようで。登るのに必死で眺める余裕などなく一瞬で通過してしまったけど有名な撮影地であったとは。そして山荘から登る事約1時間で鷲羽岳山頂に到着です。行動開始から4時間30分、10時30分頃の到着でした。




3日間の山行という長丁場であり初日の11時間行動のダメージもある事から行程の組み換えも検討されていました。当初は鷲羽岳→雲ノ平→高天原山荘、翌日は激急登の高天原→温泉沢ノ頭からの水晶岳という予定で3日目が鬼のようにしんどい。そこで鷲羽岳の後はそのまま稜線伝いに水晶岳に登ってしまい3日目を少し楽にするかという案。でも結局当初案で行ってみようという事になり鷲羽岳からワリモ岳を経由して岩苔乗越まで降ります。ワリモ分岐をそのまま進んだら水晶岳方面ですが雲ノ平方面へと左へ曲がります。



高山植物と水晶岳を眺めながら下っていくと高天原へと直通するショートカットと祖父岳・スイス庭園・雲ノ平方面への分岐にかかります。時刻は12時20分を回っています。行動開始から6時間以上経過している事、岩苔乗越から雲ノ平経由なら高天原山荘まで計算上5時間以上かかり到着が18時前とかなり遅くなってしまいます。精神的肉体的余裕もない自分は無理をして雲ノ平経由にしても苦痛なだけに思い2時間半くらいで到着できるショートカットコースを選択。大将とひでさんが祖父岳方面に別れていく姿を眺めながらのんびりと沢を下っていきます。




せっかく登ったのにまた下る。この繰り返しがボディブローのように効いてくるんです。辺境の地の高天原(たかまがはら)へ大将はこだわりが強く是非行きたいとの事で行程に組み込まれてしまいましたが高天原には日本で最もアクセスしにくい温泉があり何が何でもそれは外せないと言われていたから。鷲羽岳2924mから高天原山荘の2110mまで800m近く下って翌日にまた水晶岳2986mまで800m以上登る羽目になるという困難さ。




沢に沿ってひたすら下り続け途中まではお花畑や沢の水場があり沢で洗顔と水分補給、昼食を摂り再び進みますが沢を越えたらガレ道の樹林帯が延々と続いて単調過ぎて退屈な道が続きます。



唯一の見どころと言えば水晶岳を映す水晶池があるので枝道に逸れて立ち寄ってみます。5分くらい下ると池が遠目から見えてきたけどちょっと待て。枯れとるがな。下ったという事はまた登って戻らないとあかんのに無駄な徒労で終わってしまいました。




午後になるとやはり雲が増えて水晶岳山頂にも雲がかかっています。鷲羽岳からハシゴで水晶岳に行かなくて正解だったと思いながら枯れた池の袂にショボンと座って休憩。ここから山荘までは1時間弱で着くはずですからラストスパート。気力体力的に無理して雲ノ平経由にしなくて良かったと思います。行動開始から9時間、15時前に山荘に到着し先にチェックインを済ませておきます。1泊2食お弁当付きでおひとり様14000円也。



大将たちは雲ノ平経由ですから到着は3時間後の18時前くらいか。夕食は2部の18時45分からですので夕食には間に合いそう。日本一遠い温泉と言われる温泉に先に入りに行くか迷いましたがここから徒歩で往復50分もかかるのでまずは休憩。布団の上で寝落ちしてしまった。そういや黒部五郎小舎は男女別でしたが高天原山荘は男女一緒の大部屋だった。すぐ近くでお姉さんが登山着を鼻に押し当てて臭さ具合を確認していたりと見てはいけないものを見てしまった感もあったけどこっちも負けずにパンツ一丁になって温泉に備えて部屋着に着替えたりとなんでもあり。自家発電ではなく灯油とランプが主体で「ランプの宿」と言われているみたいだが灯油臭くてかつ暗い。



うつらうつらしていたら足をつかまれて目が覚めます。なんとまだ16時30分なのに大将とひでさんが1時間半以上まいて山荘に到着しているではありませんか。恐るべき健脚ですが休憩する事なく大将は温泉に行くと言って山荘を飛び出します。山荘からガレ道を下り登山道をひた下ると沢に出ますがそこが日本一遠い温泉、高天原温泉。





上流側にある簡易壁に囲まれているのが女湯、より見えやすいのが男湯、沢にあるのは混浴という構成。とりあえず気恥ずかしさもありとりあえず脱衣所のある男湯からまず訪ねて裸になりましょう。今にも抜け落ちそうな橋を渡りハシゴを登って覗いてみたら先客2名様が入浴中でした。





潔癖症の自分としてはこの脱衣所で脱ぎ着は正直ハードルが高すぎますが腹をくくるしかない。素っ裸になりかけ湯だけ済ませていざ入浴・・・。程よい熱さで良い湯は良い湯。でもこんなしんどい思いをしてまで来るべきものなのかという疑念はずっと抱き続けながらの入湯。
引き続いて沢にある混浴に移動してみるけど女性は女湯にこもっていたので素っ裸のまま移動して河原の露天風呂に入りますがこちらの方が解放感があり良い。大将は温泉に入っては沢で水浴びをするという事を繰り返しておられる。よくあんな冷たい沢の中に入っているもんだと半ば呆れながら見ていたけど一日中ここにいたいとえらくご機嫌でした。自分は一刻も早く自分の家の風呂に入りたいと思っていたけど。




18時45分からの夕食に間に合うように切り上げて向かいましたが脱衣所に痛恨の忘れ物をしてしまい自分だけ1.5往復分くらいの移動をしてしまい余計にここはもうないわと思ってしまった高天原温泉。辿り着いたという思い出としては良かったけど2回目はない。大将は「漢を上げましたよ」と言って鼓舞してくるけどギャルに「高天原温泉行ってきた」と話題を振っても「どこそれ?」で終わると思う。だってうちらも半年前まで高天原って言われても「どこそれ?」って感じだったし。



夕食を終えて20時過ぎには就寝を試みますが黒部五郎小舎よりも大きな部屋で大人数。なんか寝付けず悶々と時間が過ぎていきます。体調も相変わらず優れず外の空気を吸いに23時頃に出てみました。午後は雲が増えており星空は臨めないかと思ったけど満点の星空が広がっていました。3日目もこのまま晴だったら良いなと思いながら宿へ戻りましたが結局寝付けず。寝付きかけた時は4時出発の方がごそごそとし出した3時30分くらいでしょうか。結局4時30分の起床まで熟睡感0で3日目を迎える事になってしまいました。



2日目の黒部五郎小舎からの行動時間は約9時間 移動距離は約10.6kmでした。

その3につづく




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