2024年8月19日月曜日

【黒部五郎・鷲羽・水晶岳登頂備忘録 その3最終回】 24’8/10-13

その2からの続き

day3 月曜日
登山としては最終日の3日目は高天原山荘→温泉湯ノ頭→水晶岳→竹村新道→湯俣岳から晴嵐荘宿泊という予定。
文字だけ見てるとふーんって感じで終わるけど何気にYAMAPのコースタイムを足し算すると単純に11時間15分もかかる。

今回の行程は大将が練ってくれて全てお任せで頭空っぽでOKしてたけど今度から自分でも計算はしましょう。初日から薄々狂った行程って感じていたけどこうして振り返ると改めて狂った事をしていたもんだと今更ですが我ながら呆れてしもた。



昨日の露天風呂で御一緒した神奈川から来られていたお兄さんは怪我の術後明けでリハビリ登山と言われていたが5泊のテント泊登山らしい。5泊もテン泊登山をしてどこがリハビリやねんって思ったけど山岳会所属のようでありガチのアルピニストみたい。
そんなお兄さんも我々の行程を聞くと「トレランの方ですか」と聞かれたようにランではなくのろのろ歩く登山では無理があるみたい。
体調もしんどくて逃げたくて逃げたくて仕方がありませんでしたが奥地過ぎてエスケープルートも皆無。来たらヘリの救助以外は自力で降りるしかありません。



さて、3日目の朝も5時から朝食を摂り6時に出発。我々の行程なら朝食なしにして出発を早めるべきでした。
高天原温泉の露天風呂の脇を通り沢に沿って登っていきます。普通の靴だと一瞬でずぶ濡れになってしまうような沢登りが続きます。





行動開始1時間ちょっとで沢とお別れしますが今度は直登に近いロープから樹林帯に入り延々と急登が始まります。
この急登は神奈川のお兄さんも二度と登りたくないと言わしめた急登でしたが確かにきつい。樹林帯から高山帯に入りハイマツやガレ場を登り続けますがどこがてっぺんなのか急登過ぎて先が見えん。あのこんもりしたハイマツの先っちょがゴールかなと思ってもすぐまたその先にこんもりした名もなき頂っぽいのが何回も続きます。






後ろを振り返れば薬師岳と赤牛岳が目に飛び込んできます。登り始めは綺麗っすねーと何度も振り返っては同じ写真を撮り続けていたけど登れど登れど同じ光景で疲労と飽きが半端ない。
今日も元気いっぱいの大将はグングン登っていって稜線に出たようです。「絶景が待ってますよー!」と鼓舞してくれたけどもう薬師岳ばっか見てるから同じ景色にしか見えん。
思わず「もうおんなじ景色ばっかりですしええですわ」と言ってしまったが「ビクトリーロードが待ってます!」とまた鼓舞してきた。




行動開始から約3時間、9時過ぎに温泉俣ノ頭に到着。赤牛岳から水晶岳へと続く稜線上。水晶岳へのビクトリーロードらしいが全然ビクトリーちゃう。水晶岳左には槍ヶ岳をはじめとする穂高連峰、右には平坦な雲ノ平と黒部五郎岳も見えます。
のんびり稜線を歩くだけならビクトリーロードと言っても良いのですが岩場のアップダウンがあったり距離も遠い。水晶岳は北峰と南峰の2峰山ですのでまず北峰を目指します。雪渓を越えてガレ場を登って温泉俣ノ頭から1時間20分登り続けて10時20分頃に北峰に到着。



黒部ダムが赤牛岳のはるか彼方に見えますが立山劔連峰も見えています。
ここから水晶岳の最高峰の南峰までは数分ですが南峰は多くの人で賑わってます。わざわざくそしんどい温泉俣ノ頭から登る人よりも水晶小屋からサクッと南峰に登る人が大半だと思います。




北峰からひいこら言いながら10時40分頃に南峰に到達しこの日のメインは終了です。
余裕ぶっこいた感じでソロで撮ってもらったけど標識が杖替わりでぶっ倒れそうなくらいしんどかった。



これにて百名山の三山、黒部五郎、鷲羽、水晶を制しましたが山と渓谷社の百名山登頂困難ランキングのTOP3は1.鷲羽 2.水晶 3.黒部五郎の順であったのを帰ってから知ってびっくらぽん。
大将の温泉へのこだわりがなく高天原山荘をカットできていたらここまでしんどくなかったのになーと思いながらこの日の宿、晴嵐荘までの下山を開始しますがここからも過酷でありました。
南峰を11時前にあとにして30分くらいで水晶小屋に到着。ここで水分休憩、レモンスカッシュ600円也を飲んで栄気を養って先を急ぎますがここから単純計算で6時間15分かかる。11時40分頃に出発しますが単純計算で18時着。休憩とかする訳ですから夕食にも間に合わん。事前に遅くなるとは連絡を済ませていますが迷惑をかける訳にはいけませんから先を急ぎます。




水晶小屋から裏銀座ルートに入り野口五郎岳方面へと向かいます。稜線を歩いていく訳ですが緊張感を要す稜線伝い。先月にもこれから通過する東沢乗越付近で縦走中の57歳の男性登山者が滑落死というニュースがありました。
こんな緊張を要する道をいつまで歩くんだろうと思いながら先を見ますが白い山肌の野口五郎岳との分岐を右に稜線伝いに見える緑の山が湯俣岳か。湯俣岳からは下るだけだからあそこまで辿り着けばなんとかなる。そう言い聞かせながらガスも出始めた裏銀座を慎重に進んでいきます。




登ったり下ったりを繰り返してようやく野口五郎と我々が向かう竹村新道との分岐点が見えてきました。水晶小屋から約2時間経過し行動開始から7時間50分、13時50分に分岐点に到着です。振り返ってみると水晶小屋から続く裏銀座ルートが見えますが3日目の疲労困憊の中でよくこの距離を歩き続けてきたもんです。





分岐点から竹村新道に入りトラバースする感じで進んでいきますがこの竹村新道、途中で出会ったおばちゃんから二度と通りたくないと言われた酷い登山道のようで。確かに崩落している箇所も多くここを単独で通れと言われたら正直キツイ。滑落しても滑り落ちるだけで死なないとは思うけどやっぱり怖い。



ところで湯俣岳、まだか。大将曰く南真砂岳から400m下って100m登るらしい。そんな湯俣岳は稜線上に見えていたこんもりした緑の山だと思ったけど。



と、水晶小屋から見えていた稜線の端っこの湯俣岳と思っていた所まで着いたっぽい。「ほら、晴嵐荘という文字が出てきましたよ!」とひでさんが言うけど下の「※ながいです。気をつけて!」は見たらだめですとストックで隠してはる。晴嵐荘の案内も出てきたって事はあとは下るだけやーと思って喜んでいたらこの先に登ってみたものは。「南真砂岳」というちっちゃな標識が・・・。



ちょっと待て。ここから400m下って100m登って湯俣岳まで1時間20分って勘弁してくれと心の中で思ったけど前に進むしかありません。15時頃に南真砂岳を発ち16時過ぎにようやく湯俣岳に到着しましたがこの3日間の登山の最後の〆がコレ?!と思わせるような山頂でしたがひでさんと記念撮影。元気もりもりの大将には先に行ってもらっており同行者が遅れる事を宿に伝えてもらう事に。



しんどいしんどいと同じ事ばかり書いていますが湯俣岳からの下りもちょーキツイ。一気に1000mの下山であり足腰足裏が限界ですが歯を食いしばって進みます。当初は20時くらいになるかもとか弱気になっていましたが大将から遅れる事30分ちょっとの18時過ぎになんとか晴嵐荘に到着。先着していた大将は既にビールを開けていましたが我々の為にかき氷も注文してくれて改めてビールで乾杯。




夕食は18時からで食事の用意もされていたので早々にかき氷を食べきったら改めて食堂で乾杯。こじゃれた雰囲気で料理もカレーやコンソメスープやチーズケーキもあったりと今までの山荘とは異なる趣で新鮮でした。



最終日の宿泊という事もあり大将が個室を確保してくれていましたがやはり全く知らないあかの他人がすぐ横で寝ている大部屋より何倍も居心地が良い。この宿も源泉かけ流しのお風呂があるので温泉大好き大将がチョイスされましたが早速みんなでお風呂にGo。まあ、言うても温泉宿ではなく山小屋に近い宿であり予想はしていましたが温泉風呂があり桶がある以外はシャワーもシャンプーも何もない。ひでさんは部屋にクーラーがあって浴衣も用意されていないかなーって希望していたけど。
高天原温泉の屋内版って感じでしたがかけ湯をしても洗い場から排水されずどんどん水かさが増してくる。このままだと内湯と同じ高さになってしまうけどきたねーって思いながら早々に退散してしまった。やはり排水はちゃんとされて欲しい。



料理も美味しく色々なお酒も用意されてこじゃれた雰囲気でいい感じ。でも残念なのはトイレの臭気が漂いまくっていた事。お風呂場もトイレの臭気が満ち溢れていて大将もお湯がいいだけに残念とがっかりされていた。登山とトイレは永遠の課題ですね。
最終日の4日目は京都に戻る為だけの日ですが帰りも何気に大変。富山県側の飛越新道から登って長野県側の松本に下山する訳であり長野から富山まで車を迎えに行かなければなりません。七倉山荘09時45分発のバスに間に合う為には5時に宿を発ちタクシーのある高瀬ダムまでいきなり3時間歩く必要があります。4日目の事を考えると気が重くなりましたがいつのまにか寝落ち。



3日目の高天原山荘からの行動時間は約12時間 移動距離は約14.5kmでした。


day4 火曜日
この日も04時30分に起床し5時過ぎに宿を発ちます。地図をみたら高瀬川を渡り対岸に移動するようだけど橋らしいものはない。あ、吊り橋あるやんって思って近寄って行ったらジップラインだった。真っ逆さまに落ちたら顔面強打で死ぬなと思いながら先に渡り切り大将とひでさんを待ちます。





渡り切ったら高瀬・七倉方面に向けてひたすら北上していきます。所々できれいな潺が高瀬川に合流して流れていきますがこの流れも高瀬ダム、七倉ダムでせき止められ澱んでしまうんですね。川沿いには工事用車両の車路が出現してもうこのまま単純な道を歩いたらゴールかと思いきや再び山道、トンネルになったりと延々と歩き続けますが歩き続ける事3時間弱、8時前に湯俣温泉登山口に到着です。





が、ここから更に1時間以上歩いて高瀬ダムを目指す必要がありますので途中で晴嵐荘で用意してもらった朝食(ちまき)を食べて休憩をしたりして長い長い隧道(ずいどう)を越えたりして行動開始から約3時間弱の8時頃に高瀬ダムに到着。




あんな綺麗な流れの高瀬川もせき止められてしまって澱んでおりここがゴールかと思うとちょっぴり悲しくなりますが高瀬ダムは黒部ダムに次いで全国第二位の高さを誇るダムらしい。そんな高瀬ダムの堰堤にはアルピコ交通と第一交通のタクシーが控えており登山者をピストンで運んでいます。途中の崩落区間までタクシーに乗って移動しますが料金は1300円也。崩落区間は一瞬で道路上にあった落石も綺麗になくなって車の通行に支障はありませんが崩落に巻き込まれる可能性がある事からいまだ分断されているみたい。徒歩は通行可能でタクシーを降りて次の乗車区間まで崩落区間を通過しますがわざわざ大町市が手配しているであろう警備員の方が常駐していて通過する為のヘルメットの受け渡しをされていた。正直落石に巻き込まれたらこんなヘルメットはぺちゃんこで自分も即死だろうなと思いますが行政としては自己責任で通すわけにはいかんのでこのようなかたち上でも安全配慮に苦慮しているのでしょう。



崩落区間を越えて七倉山荘までのタクシーに乗車しますが後半は1000円也。徒歩だと1時間30分くらいかかる所を3人で2300円でワープ出来たのですからありがたい限り。そしてついに行動開始から3時間30分、8時30分頃に七倉山荘前に到着です。七倉山荘前から裏銀座登山バスなるものがJR大糸線信濃大町駅まで出ていますが09時45分の発車まで1時間以上あります。ひでさんとは高山で銭湯に入って身を清めて帰りましょうと言っていたけど七倉山荘が日帰り入浴可能であり680円を支払い温泉へGo。同じ山荘でも門構えが異なりトイレも水洗で感動したとひでさんたちから声が上がっています。入浴の支払いもPayPayで可能で携帯の電波も立っている。たった4日ぶりの下界なだけですが多くの事で感動している3人がおった。




脱衣所では下山してきた他の登山者もおられ何日ぶりの風呂ですかという会話になり、一応我々は高天原温泉、湯俣温泉に入ってきましたと答えますが皆さん苦笑してあれは・・・という反応。七倉山荘の日帰り温泉はシャワーもありシャンプーボディソープもあり洗面脱衣所も綺麗でこの4日間で最も感激と喜びを得られた場所でした。皆で文明の利器のすばらしさに感動しますねと言いながら09時45分の裏銀座バスに乗り込み信濃大町駅へと向かいます。
JR大糸線は10時26分発ですがバスの到着は10時22分過ぎでかなりぎりぎりの乗り継ぎ時間。もう無理かと諦めかけたけど行違えの列車が遅れており10分近く遅れての発車となりました。




約1時間の列車旅で終点の松本駅に降り立ちます。そういや高瀬ダムからのタクシーの運転手さんが松本から飛越トンネルまでは上高地経由で行くしかないけど上高地周辺は渋滞するけど波多地区を通るならスイカの名産地だから買っていきなよと教えてくれました。松本駅前のトヨタレンタカーから車に乗り込み国道158号から上高地方面経由で岐阜・富山県境の飛越トンネルへ移動します。




信州と言えば蕎麦でありせっかくだから蕎麦を食べて帰ろうと思ったけどお昼時で観光客とかで長蛇の列が出来ています。早く帰る為にも並ばずに食べられそうなお店はないものかと思案しながら走っていたら同じ国道158号沿いに「レストランポム」なるおいしそうな洋食屋さんがありそちらで昼食を済ませます。途中、松本電鉄上高地線との並走区間ではラッピング列車との並走もあったりと飽きさせません。
と、国道沿いにスイカの露天売りをパラパラと見かけるようになりここは何処かと見てみたら松本市波多。昼食を摂ってスイカの事なんぞすっかり忘れていたけどタクシーの運転手さんが教えてくれたスイカの名産地に来ていたみたい。京都への帰京を急いでいたけど買うしかないと立ち寄ります。



2Lサイズとかは2000円くらいしていたけど特売品はどのサイズでも1000円。形が少し歪んでいたり皮に傷があったりするだけで特売品らしい。皮なんてどうでもよくて中身が美味しいのなら特売品で構いません。可哀そうな事に同じ波多のスイカなのに特売品は「はた」のブランド印のシールすら貼られておらなんだ。そんな可哀そうなスイカを各々吟味して選びます。ひでさんは貧乏根性が抜けないからととにかくデカいヤツを。大将は売り子のおばちゃんとあーだこーだ合議して一番時間をかけて吟味して巨大かつおばちゃんのお勧めをチョイス。自分は大き過ぎたら大味になりそうという意味不明な根拠と叩いた時の感じからチョイス。
他にも色々とお土産を買ったりしましたが松本駅前を12時過ぎに出てから約3時間30分かけ15時30分に飛越トンネルに置いてあったひでさんの車に到着。ここからレンタカーとひでさんカーと2台体制で高山駅前のトヨタレンタカーまで移動してレンタを乗り捨て初日に合流した栗東IC近くのコインパまでひた走ります。走る事5時間、20時30分には栗東ICを降りてジョリパで最後の晩餐と大清算会をして今回の旅は幕を閉じました。


最後はグダグダな備忘録となってしまいましたがお付き合いいただきありがとうございました。
さて、持ち帰られたスイカの運命や如何に。帰京した翌日にはこんなやり取りがされていましたとさ。



調べてみると叩いた時に高い音の方が良いみたいですが皆さんはどうやって選んでいますか。
ちなみにひでさんの買ったスイカは美味しく親族一同で召し上がられたようで彼の立場は保たれたそうな。
今回の激烈な山行計画を立て我々を鼓舞して連れまわした大将のスイカだけが残念でしたがまたみんなで登りに行きましょう。
我が家のスイカ🍉



自分の体力の限界は振り切れていましたが、笑顔で支え続けてくれた大将とひでさんにこの場を借りて深謝申し上げます。


おしまい


0 件のコメント:

コメントを投稿