2024年1月9日火曜日

【高見山登頂備忘録】 24'1/8

新年明けましておめでとうございます。
年を取るごとにイベントへの執着もなくなり正月も1/365日という感覚。
淡々としながらも日々楽しく過ごさせてもらっていますが今年の登り始めは奈良県は高見山。
2月の北アルプス前哨戦と新年会を兼ねて関西のマッターホルンと呼ばれている(らしい?)高見山を予定していましたが今年は暖冬で雪なし。
雪山前哨戦を予定していただけに行く意味あるんかと思ったけどみんなで新年の登山をすると思えばよい。



近鉄桜井駅から大将のお迎えで山に向かう算段でしたが桜井までなにで行くか。
ひでさんはのんびり鈍行プランも頭にあったようですがせっかくなのでビスタカーで朝から優雅に向かう事にします。が、京都→大和八木までの特急券が920円と知ると「倍近い値段しとるがな」と言われていたけど近鉄グループを応援という意味も込めてチケットレス特急券で乗り込みます。京都駅07時10分発の特急鳥羽行に乗り込んだけどあまりにも快適空間でありこのまま鳥羽まで乗り続けたいと思いながらもあっという間に大和八木駅に到着し鈍行に乗り換え近鉄桜井には8時過ぎに到着。珍しく今回は誰も遅刻する事なく大将も駅前にスタンバイされており予定通り高見山登山口まで小一時間運転してもらい到着。9時過ぎに駐車場のあるたかすみの里に到着したけど既に多くの登山者が準備をされています。我々も登山後のお風呂セットを車に置いて行動開始。



寒いけど無雪のテンションの上がらない状態で登山道を進んでいきます。樹林帯を40分くらい登ると高見杉と避難小屋のあるポイントに到着。




ここから30分も登ったら杉谷平野分岐に到着。この地点で標高930mちょいでここから先は霧氷を見ながら進んでいきます。




山頂に近付くにつれて霧氷もより育っていますが雪はなし。
アイゼンとピッケルまではいらんと思いチェーンスパイクを念のために持ってきたけどこちらも出番なし。




天気もイマイチで青空と太陽が出ていたらもっと輝いて見えたはずであり残念ですがとぼとぼと登っていけばあっという間に山頂に到着です。が、ちょうどピークの時間帯だったのか山頂の避難小屋は登山者でぎゅうぎゅう。そんな中、カップ麺を食べている猛者もいたけど入るスペースもないので避難小屋横で風をよけながら大将はカップ麺のお湯を沸かし始めて昼食の準備に取り掛かります。
標高が1200mあり稜線は寒風が吹きすさび激寒。そんな中でも火起こしをする根性はあっぱれ。



自分はサーモスの山専ボトルに今朝熱湯を入れてきたので避難小屋の上の展望スペースでカップ麺とおにぎりランチ。それにしても遮るものがないので極寒で手袋を外してお箸を持つのが出来ず食い辛い。と、下で湯沸かしをしていた大将とひでさんがカップ麺片手に登ってこられた。極寒の中での湯沸かしであり時間がたいそうかかったそうな。



この日のベストショット完成。極寒の中、避難小屋に入れずお外でカップ麺をすするおっさん達の図。寒風吹きすさぶ中黙々とすする姿は同性から見ても素敵でした?
三脚も担いできたけど山頂は渋滞していて立てるものめんどくさい。カップルで来ていたお兄さんに記念撮影をしてもらい下山します。




テンポよく下山していきますが標高1000m以上は寒かったけど下は木漏れ日もあり暖かな雰囲気になっていました。



こうして今年の登り初めは無事に終了しましたがこちらも想定外の予定よりもかなり早く下山。当初5-6時間かかって15時過ぎに降りる予定でしたが13時過ぎには下山完了しそのままたかすみ温泉で凍えた身体を温めます。大将の長風呂もありましたがそれでも時間に余裕がありありで大将の家に新年の御挨拶にお邪魔して19時開始予定の新年会を17時開始に前倒ししてつつがなく新年のお祝いを行う事が出来ました。




当初は終電を覚悟していましたが今年は嬉しい誤算の連続で予定よりも2時間も早く帰宅の途につく事が出来ました。近鉄桜井駅で別れを惜しみつつ鈍行に乗り往路と同様に大和八木駅で乗り換えますがちょうど名阪特急の雄、特急ひのとり号が入線してきました。初めて生のひのとりを見ましたが素晴らしい特急列車ですね。名古屋に行く時に敢えて大和八木経由で行くのもありと思わせる特急でした。が、往年の近鉄と言えばツートンカラーの2800系?も味があって好きです。帰りの特急は20000系の特急でしたがこちらも素晴らしく快適ですぐに寝落ちしてあっという間に京都に到着となりました。

24年度一発目の備忘録もハイポな備忘録で始まりましたが今年度も宜しくお願い申し上げます。


追記
毎回恒例のハプニングもなく今回は何事もなくつつがなく終了したと喜んでいましたがまだ終わっていませんでした。



ひでさんも自分もどうもなかったけど全身筋肉痛のオチはfluAでした。
社会生活をしていたら誰しも感染する事はあり得ますので誰がどうのこうのという事はすべきではなく明日は我が身であり病気になった人に対してまず寛容であるべきではないでしょうか。あれだけコロナ感染症で騒ぎまくっていたマスコミは一体なんだったんだと改めて思います。ハンセン病で無意味な隔離をし続けていたけどコロナ感染対策で意味不明な認証制度とかを作り意味不明なアクリル板を設置させまくっていた行政とは。結局検証もたいしてされる事なく過去の一出来事となっています。過ちから学ぶどころか再度同じ過ちを犯していると思うのは行きすぎかもしれませんが学んでいかねばなりません。

が、偉そうな事を言っているけど同じ過ちを繰り返している自分がいるのは痛いところです。



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