2024年5月9日木曜日

【屋久島 宮之浦岳登頂備忘録 その3最終回】 24’4/26-29

その2からのつづき

day3日曜日
午前4時のアラームで目覚めますが既にお二人も起床し真っ暗な中、せっせと撤収の準備に取り掛かっています。水場までヘッデンを付けて顔を洗いに行き、さっぱりさせたら自分もテントを撤収させていきますが幸い昨夜からは雨は降っておらずずっと晴れていた模様。雨の中の撤収ほど悲惨な事はないと恐れていたけど本当に天気の巡りあわせに感謝。今回の山行に向けて登山用のテントを大枚はたいてノースフェイスのマウンテンショット2を購入しましたが湿度の高い屋久島で使用しても結露なく撤収もスムース。ただテントは結露なしでも次の日も着るつもりで汗だくになったパンツをカラビナに吊るしてテント内に干していましたがこちらは冷えてズクズクのままでひとつも乾いていない。あさイチからズクズクパンツを着るのは苦痛過ぎなので帰る時に着る為に持ってきていた予備のパンツに履き替え結局全身全て着替えてしまった。



小屋泊の人達も既に出発されている方々多いけど皆我々とは逆方向に向かっており下山しているみたい。
5時出発を目標にしていたけど朝食が5時からになってしまい出発は05時30分。
テン場の横を通り抜けて宮之浦岳へ向けての急登が始まります。この日の日の出は05時36分でしたが空が白んで来て青空が広がっています。少し開けた地点に来たらお月様と共に宮之浦岳が眼前に飛び込んで来たけど、と、遠い・・・。この日は行動時間だけでも計算上8時間であり下山のバスが14時55分という事を考えると余裕がない。登山道は整備されている所は木製階段等があり直登を続けます。



登り始めて40分経過。第二展望所なる立て看板があるけどロープを使って登らないとアクセスできません。正直時間も押しているしカットと思ったけどひでさんの嗅覚がただならぬ展望を嗅ぎ付けたようで行ってみますと行かれてしもた。どないですかーと遠くから聞いたら寄る価値ありますよと。



どういう関係性かよくわからん男女親子風3人組は同じ新高塚小屋泊だったようですが早くに出発してこの地で日の出を拝まれたらしい。そんな親子じゃないけど親子風のよくわからない関係性3人組のモーニング会場にお邪魔してしばし朝日が昇り続けている東側の太平洋に見惚れてしまいます。



ここからも宮之浦岳を背景に見る事が出来ますのでおじ様に記念撮影をお願いして宮之浦岳バックに3人で一枚。今日は宮之浦岳に登頂して淀川口まで降りて紀元杉14時55分のバスに乗って帰りますと言ったらダッシュだねと言われてしまった。



奇岩が多数あり登頂開始から1時間後には坊主岩までやってきました。
どうやったらこんなにつるっと岩が削られるのか不思議でなりませんが屋久島は神秘的也。



坊主岩を越えると下草が熊笹メインとなり森林限界を突破してきた感が出てきます。
振り返ると太平洋が広がり前を向いたら目指す宮之浦岳に近付いてきているのがわかります。




熊笹が生い茂る登山道をかき分けながら進んでいくと出発から2時間30分後の午前8時前に山頂に到着です。ハイポな文章なのでなんか読んでいても大変さの実感が伝わらないと思いますが宮之浦岳、個人的にはまぢしんどかったです。雨が豊富な地域という事もあってか山頂に近付いてもずっと沢が続いており水たまりの中を歩き続ける事も多々。



360度の眺めを堪能しますが雲海がどんどん広がってきます。そして頂上にもガスがかかるようになり30分もすると青空が消えてしまうという画にかいたような山の天気の移り変わり。ここでもちんたらしていたらバスに間に合わなくなってしまいます。山頂でお話しした人によると電波が入るのがここ付近だけで紀元杉バス停でタクシー呼ぼうとしても呼べないよと。乗り遅れたらヒッチハイクしかありません。



振り返るとガスに包まれ始めている宮之浦岳、進行方向には奇岩がゴロゴロと横たわっている栗生岳。ひでさんから「くりお岩」どうしますかと聞かれて「カットで」と即答してしまったけど宮之浦岳のお隣の奇岩どころであった訳であり立ち寄っても良かったなと今更後悔。登っている時はもう来る事一生ないわと思ったけど離れるとまた恋しくなってきた。



下山は下りで楽かもしれないけど相変わらず沢の中を下る状況が多々あり滑って転倒する事もあり油断ならん。そんなわけでいつもほどハイペースな下山にならず時計が気になる。
再び森林限界から樹林帯に戻ってきた感じですが雲海の下に来ている状態で青空はなく厚い雲に覆われています。遠くの山肌にはピンク色が見えますが屋久島ツツジでしょうか。そんな新緑と花を眺めながらロープで岩場を下ります。こんな感じでロープ場も何か所かありややハードな登山道が帰りも続きます。



屋久島へ行く直前TBS「世界遺産」で鈴木亮平という方が屋久島を訪ねるという番組があったみたいですが自分は敢えて見ずにやってきました。予習で見ても良いかなと思ったけど映像のトリックで良いとこだけを切り取って感動の閾値が上がりそうだったのでパス。何事も自分で見て聞いて感じないと本当の事はわからないと思います。だからいくらひいこら昇り降りしてきましたとこの記事を読んでも真の苦楽は伝わりませんので是非実際に登ってみましょう。



鈴木亮平が屋久島を訪ねたのなら百名山の宮之浦岳に登ったものと思い込んでいたけど実際は黒味岳だったらしい。そんな黒味岳との分岐に宮之浦岳山頂から2時間30分後の11時に来たけどお二人が「ここから往復50分なので我々も行きますか」と聞いてきた。
が、答えは勿論迷う事なく「カットで」



分岐から15分ほどで日本最南端の高層湿原である花之江河に到着して一休み。ここでグラサン軽装姿の男の人がいたので挨拶したけどアクセントがどうも日本人っぽくない。彼は香港から鹿児島空港経由でやってきたけど屋久島まではフェリーで来てこの地に10日間滞在するらしい。屋久島出身の同僚に怒られるけどこんな何もない所にフェリーで来て10日間もいるって自分なら発狂しそう。香港の彼曰く「Feel Spring, Feel Nature」らしい。そういや京都だけでなく屋久島も外人だらけだった。挨拶だけでもイントネーションの違いで外国の方とわかる人達の方が日本人より多かったと思います。
そんな素敵な屋久島旅行中の彼とお別れをして昼休憩を予定している淀川小屋までラストスパート。下山開始から7時間経過した12時30分に淀川小屋に到着。小屋には水場があるからそれを使って昼食の用意をしようと思っていたけど水場はこの川の事だったみたい。凍えるくらいの冷水で手と顔を洗いそのまま水をがぶ飲みしますが変な寄生虫とかほんまにおらんのかという不安は毎回消えん。




淀川小屋から紀元杉バス停まで約1時間であり昼食をしても余裕があります。
何人かが車で淀川登山口まで来たと言っていたので不測の事態でバスに乗れなかったらヒッチハイク。
昼食を終えて再びもののけの世界の雰囲気の登山道を歩き続け下山開始から8時間40分、14時10分に淀川登山口に到着です。



バス停には数組の先客がバスを待っていましたが14時50分にはバスがやってきましたが多くの登山客が降りてきます。
この時間から登頂を開始する人達は淀川小屋に泊まるみたい。
登山と言えば毎度のトイレ問題だけど「淀川小屋の水場は綺麗で空気も綺麗で最高って思ったけどトイレを開けた瞬間にこの世の地獄を見た」と大将が言っていた。それくらい小屋のトイレは汚く誰かが扉を開けただけでご飯中でも臭気が凄かった。
やっぱりこれが登山の一番の恐怖と悩みである事は屋久島でも変わらず。



容赦なくバスは定刻の14時55分に出発して下山していきますが乗り遅れてバスで1時間かかる道を歩いて帰るのは不可能だと思った。そんな乗車出来て良かったという安堵で帰りの景色を眺めますがまさに山頂からの雲海の下を行っているようで冷たい雨が降り続いています。紀元杉からの乗客だけで最後までゆったり帰れると思ったけど屋久杉自然館のバス停は長蛇の列で乗り切れない程でしたがメジャー登山口の荒川登山口から下山してきた方たちだったようです。そんなかんなで最後は観光客でぎゅうぎゅうのバスに揺られて乗り継ぎをしてこの日の宿の前岳荘には16時過ぎに到着です。



GW前半という事もあって何処の宿もいっぱいだったようでこちらの宿になったようですがこちらも多くの観光客が宿泊し我々は離れの別館に案内されます。ここで今回の旅で一番緊張した出来事が起きてしまいました。
大浴場の利用は男女入れ替え制となっていて男子は17時~18時、女子は18時~19時・・・・みたいな男子からのスタートという説明をチェックインの時に受けます。部屋に荷物を置きに行きますが2段ベッドが4人分あるだけでハンガーなどもなく服かけれず。まあクーラーもあるし広々しているからいいかと妥協してお風呂タイムまで待ちます。いつものように大将に「男風呂の時間は18時から19時ですからねっ」と茶目っ気たっぷりに女湯の時間に入るようにボケたつもりでしたが一緒にお風呂の時間を聞いていたはずの大将は真に受けて「マジっすか。あと1時間半も風呂に入れへんなんて」と真剣に悲壮な顔になっておられる。いつもの大将へのボケをかましたつもりでしたが本気で嘆き悲しんでいるので「いや、ほんまは17時からで女子が18時からですがな」と笑いながら教えたけど真顔で「そんなしょうもない嘘はつかんでよろしいねん」と真剣に静かに切れていた。数秒後にはハッと我に返りいつもの温厚仏様な大将にカムバックされ「すいません。風呂にまだ入れないのかと思うと思わずカッとなってしまいました」と、お風呂はここまで人を変えるのかと思った。でも正直自分も風呂に入らずベトベトの状態で2日間近く過ごしていたので怒る気持ち、わからんでもない。
登山中に転倒負傷ズボンの損傷とかのマイナートラブルはありましたがこの日の夕食のメインディッシュもトビウオの姿揚げというオチで無事に屋久島旅行は終了です。


day4月曜日
屋久島観光はなしで最終日は帰るだけの日。8時11分発のバスに乗り10時05分発のJL3740便で鹿児島空港まで移動します。



着いた時は真っ暗で全貌がよくわからなかった屋久島空港ですが小さくてこじんまり。
滑走路までいつでも強行突破出来そうなくらい貧弱な造りに見えてしまう。



1日5便ある鹿児島行は4/5が満席で1日1便の伊丹行も満席でした。世界遺産となり多くの観光客が押し寄せているだけあります。1万人以上が暮らしていて観光客も押し寄せているのでありもう少し空港を改良できないものかとも思ったけどある程度制限されている方が増えすぎず良いのかもしれないと思った。京都にしろ屋久島にしろオーバーツーリズムで一般住人の生活が脅かされているのは住んでいる側からしたら迷惑でしかありません。



大将と自分は特典航空券のマイルの兼ね合いで鹿児島空港での乗り継ぎで1便遅いのをとりましたが通常航空券のひでさんは最短の便での帰京であり鹿児島空港内でお別れとなりました。8番搭乗口からの乗り込むひでさんを見送った後は一度保安検査場内から出てお土産購入とランチタイム。実際の縄文杉は遠くからしか見る事が出来ずに大きさをそこまで感じられませんでしたが空港で感じる事が出来ました。思わず木に被りついて記念撮影をしてしまった。


食べ終わったら大将は早速「乾杯しましょう」とラウンジに行ってまた生ビールを飲み続けていますが職場から車で帰らないといけない自分は許しを請うてカフェオレで乾杯。大将は飲み足りなさそうでしたが今回の旅の無事に感謝して12時40分発のJL2406便に搭乗します。
帰りも雨の鹿児島で霧島連峰を見る事は出来ませんでしたが何度でも訪れたくなる九州です。
全国的に曇/雨の月曜日であったみたいでずっと雲海の上を飛行し伊丹には13時55分に到着しましたが沖どめ。





しんどいしんどい言うても行きは白谷雲水峡の標高600m近くまでバスで運んでもらい帰りは標高1300mくらまでバスに迎えに来てもらいと文明の利器に頼りまくっているのが現実。当初、尾之間温泉に泊まる予定でしたが尾之間登山口は海のすぐ近くで標高86mでありリアル登山なら尾之間口まで下山すべきだと一瞬思ったけどプラス8時間かかるという超ハードな現実が。



職業登山家ではなく趣味の範疇でのお楽しみ登山でありこれからも緩く登ったらええかと言い聞かせ伊丹空港で大将とお別れして帰京となりました。


おしまい

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