しめしめ。今回は京都を単車で04時30分出発で大杉谷登山口に8時集合というプランでしたので流れそうでホッとしたのも束の間、日曜が雨のち晴に変わっとる。グループラインで沈黙を貫いていたけど大将が「日曜は昼から晴れそうなので行けそうで良かったっす」と先制攻撃。
流石に雨の中夜更けに三重県は大杉谷登山口まで単車で行くのは危険であり車で集合し雨のち晴を期待して決行される事になってしもた。
今回は4年ぶりに再会するMr.谷川岳も神戸から馳せ参じられて合計4名での登頂です。
と、ここでまたしてもハプニングその4発生。夕食では相変わらず大将はビールをがぶ飲みして速攻でビールのお代わりをしたけど急にフリーズして顔面真っ青口唇チアノーゼ。登山で先頭を切ってびゅんびゅん飛ばした疲労のせいか酔いが急激に回ったらしい。食事も残して部屋に戻って服を着こんで寝込んでしまわれた。明日は大将の仕事の関係で13時までには駐車場に戻らなければならず5時に出発しても8時間で下山しなければなりません。しかし登りで10時間もかかり下りもつるつる滑る岩場で時間が相当必要と思われ8時間で下山は到底不可能です。そして大将の体調不良化もありどうしたものか困った。
ここでMr.谷川岳がタクシーで戻るのはどうでしょうかと提案。いつも小生がバスとかタクシーで下山を希望しても即却下されてしまいますが今回は疲労困憊も相まってか「ナイスアイデア!!」と一斉にその案に飛びついていた。食堂のおばちゃんからは「大杉谷からの登りで10時間は早い方よ、健脚ねー下山も気を付けてね」と話していたけどそのおばちゃんにやっぱタクシーで下山することにしたからと予約の電話番号を聞いた時は少しばつが悪かった。
当初は新月の夜だから星空観賞ナイトウォークと言っていたけど大将以外も疲労困憊と寒さでナイトウォークどころやない。大将はトイレに駆け込んで胃の中身を全部リバースされその後も眠り続けています。とりあえず駐車場から星空だけでもと残りで外に出ましたが寒い寒いと一瞬で部屋に戻り21時には消灯おやすみなさい。
既に空はかなり白んでいますが朝靄か厚雲の両方で視界が悪い。こんな状態で行っても期待薄ですがタクシーを待つだけでありとりあえず向かってみます。山頂までの途中の展望台に着いたら既に陽は昇り厚雲の中に吸い込まれた瞬間でまぢタイミングの悪さに引く。日出ヶ岳山頂はガスで覆われていたので結局途中の展望台で受け取ったお弁当を食べて朝食を済ませしばし厚雲の中を昇る太陽を見つめます。朝靄と朝日に染まる熊野灘と紀州の山々を眺めていたら06時20分を回っており再び宿まで戻ります。
大台ケ原山頂から大杉谷登山口まで車で3時間。3時間もあったら新幹線で京都から東京まで行ってもお釣りがきます。大杉谷は本当に辺鄙な場所であり直線距離はたったの約8km程度と近いけど道がなく、ぐるりと北側を経由してぐるりと大回りしなければならず大台ケ原から車で3時間もかかるのでした。そして3時間もタクシーに乗り続けるという事は・・・。
お会計は47210円也・・・。
大将、Mr.谷川岳と現地でお別れし京都には14時前には到着。ひでさんと優雅にランチをしながら「徒歩で下山していたら今頃はまだ鎖場で苦労している事でしょうねー」とかお話しして我々も解散。
今回の出費は往復交通費とガソリン代で6000円、宿代とか12000円、タクシー代11800円で計29800円でした。
今回もひでさんにプランニングは一任しており頭は空っぽのまま準備をして大杉谷登山口までまだ降りしきる雨の中を名神→新名神→東名阪→伊勢道→紀勢自動車道と進み大宮大台ICで降り宮川ダムの上流へひた進み登山口に到着。ひでさん曰くYAMAPの投稿を見たら大杉谷から登り7時間、下り6時間くらいで日帰りした人がいるそうな。
という訳で我々は8時から8時間で登頂して大台ケ原の心・湯治館に宿泊。ナイトハイクで星空観賞をして翌朝は日の出を見て下山を開始し13時前には戻るというプランらしい。再会の挨拶も程々に駐車場から道を進むと登山口。登山届を提出し入山協力金1000円を支払います。
宮川ダム第3発電所横を抜けてゲートから進入しますがいきなりの鎖場登場でジャブを打たれた感覚。大杉谷登山センターのHPを見たら転倒・滑落・解放骨折という事例が多発している。雨の日の下山はお勧めしませんとも書かれていましたが確かにつるつる濡れていて滑りやすく滑ったら終わる。
鎖場は続きますがupdownもなく川に落ちないようにしていたら大丈夫と思いながら進み一か所目の吊橋を渡ります。
徐々に山深くなってきて苔がうっそうと生えた登山道を進みますがここまで辺鄙だと来る人も本当に少なそう。
という訳で我々は8時から8時間で登頂して大台ケ原の心・湯治館に宿泊。ナイトハイクで星空観賞をして翌朝は日の出を見て下山を開始し13時前には戻るというプランらしい。再会の挨拶も程々に駐車場から道を進むと登山口。登山届を提出し入山協力金1000円を支払います。
宮川ダム第3発電所横を抜けてゲートから進入しますがいきなりの鎖場登場でジャブを打たれた感覚。大杉谷登山センターのHPを見たら転倒・滑落・解放骨折という事例が多発している。雨の日の下山はお勧めしませんとも書かれていましたが確かにつるつる濡れていて滑りやすく滑ったら終わる。
鎖場は続きますがupdownもなく川に落ちないようにしていたら大丈夫と思いながら進み一か所目の吊橋を渡ります。
徐々に山深くなってきて苔がうっそうと生えた登山道を進みますがここまで辺鄙だと来る人も本当に少なそう。
相変わらず鎖場の連続ですが朝までの雨の影響もあり至る所から水がしたたり落ちている中進みます。
来てから知ったのはお恥ずかしい限りですが大杉谷って富山の黒部峡谷、新潟の清津峡と並んで日本三大峡谷らしい。どうりで断崖絶壁が続き至る所に見事な滝があるわけに納得。でも、ニコニコ滝という滝までたどり着いたけどニコニコする余裕なし。既に3時間経過しているのにまだ登山口から4.8kmしか進んでおらず頂上の日出ヶ岳までは倍近くの9.3kmと表示されておりホンマに登り8時間で行けるんか。
updownがなかったのはほんの出だしだけでひたすら川沿いに進むけどupdownの連続です。せっかくしんどい思いをして登ったのにまた下ってまた登るの繰り返しで精神的にも肉体的にも参ります。マジ引くと今日も連呼しながら進みますが何か所かつり橋を渡るとようやくこの日の昼食処、桃の木小屋に12時過ぎに到着です。
こんな秘境に大きな小屋をよく建てたもんだと感心するのも束の間、ここでハプニングその1発生。ひでさんが考え抜いたプランを長文Gmailで送ってきてくれていたけど大将と小生は頭が空っぽだったようで昼食を持参してきていた。
「荷物を軽くする為にもお昼ご飯を用意してもらうから持ってこなくて良いって僕言ってましたよね」とやや大きな声で呆れられたけど大将は「そうでしたっけ」と意に介さず。
そして追い打ちをかけるようにハプニングその2発生。ひでさんが小屋の人に「お弁当を頼んでいた者です」と名乗り出るもうちは宿泊者にはお弁当を用意するけど宿泊者以外には対応していないと。ここでもひでさんは
「電話で宿泊しないけどお弁当だけお願いしても良いですよねと聞いてOKと言われていましたよね」といつもより大きな声ですが理詰めで問い詰めておられた。どうやらおばあちゃんが受けていたようですが勘違いされていたみたいでしっかり本日の宿泊者になっていた。さすがに大将のような意に介さない反応ではなく今から作るから30分時間をくれとの事。30分待つか手持ちの行動食で済ませるか。このペースだとtotalで9時間近くかかる危険があり少しでも進むためにも手持ちの行動食で済ます事に。
小屋では真昼間から山ガール3人がテーブルで持参のクッカーで調理しサッポロ黒ラベルの缶がピラミッド状に積み重ねられる程に飲んだくれていた。そんな素敵な彼女たちの横のベンチでオッサン4人が昼食となりましたが勘違いしていた大将がたくさん持ってきていたおにぎりを我々に配ってくれ食つなぐことが出来ました。そして最後は
「俺の勘違いで昼飯食えたから良かったでしょう」と開き直っていた。
早々に桃の木小屋を出発したら七ツ釜滝というスポットを通過しますが相変わらず沢に沿った鎖場が続きます。山ガールたちは桃の木小屋に泊まって翌日に大台ケ原まで行くとの事でしたがこんな早い時間から小屋に着いてのんだくれるなんて時間が勿体ないと個人的には思ったが大将は「こんな真昼間から山小屋で飲んだくれて最高じゃないですか。そういやうちら宿泊者に入っていたから今日は山ガールと一緒に飲んで泊まって翌朝そのまま駐車場戻るのもありかもしれん」と言っていたけど何しにここまで来たのか意味が分からんという事で即却下となっていた。
沢を離れて岩場をよじ登ったらいよいよ登山モードオンリーかと思いきやまた下って沢に沿って歩くという繰り返し。5時間以上経過するけどまだ沢から離れず沿って歩き続けている。途中に散見したアサマリンドウという日本固有種のお花に癒しをもらいなんとか前進を続けますがどう考えても登り8時間は不可能であり何時に着くのだろうか。
登山開始から6時間で堂倉滝に到着。地図を見るとこの滝で沢とはお別れしてひたすら登りに入るみたい。槍ヶ岳の上高地ルートも梓川に沿って延々とだらだら歩くように大台ケ原の大杉谷ルートも延々と沢に沿って上り下りしていた。登って下ってまた登るというループから抜け出せるだけでホッとしましたが登山口が標高300mで6時間かけてやってきた堂倉滝付近で標高800m。が、ゴールの日出ヶ岳は標高1695mでここから一気に900mを登っていくのかと思うと気が滅入る。もっと均等に上昇させて欲しいと心の中で思いながら登攀を続けます。
途中の粟谷小屋という宿泊施設で小休憩。ケチって自分は何も買わなかったけど皆さんはコーラとかを購入していたけど山価格でも300円だからまだ良心的か。粟谷小屋以降も急登が続きますが頂上までかなり近付いているのを実感。
そして登る事9時間弱。ある地点を境に下草が熊笹となり見慣れた大台ケ原の山頂付近の景色が目の前に拡がります。もうここは山頂エリアに入ったんだと実感しながらあと少しで頂上と最後の力を振り絞って進みます。この日の日没は17時22分でしたが既に陽が落ちている雰囲気。きっと既に雲に遮られているのでしょう。どのみち日没時間までには頂上にたどり着けませんでしたが登山開始から9時間強で日出ヶ岳1695mに登頂完了。
夕陽に染まる正木峠と熊野灘を眺め山頂におられたライダーさんに記念撮影をしてもらいましたが強風吹きすさび激寒。トワイライトタイムで空の色の変化を楽しみたかったけど宿からはまだ着かないのかと心配の電話もあり早々に心・湯治館に向けて下山します。結局宿には陽が完全に落ちた18時過ぎに到着し登山開始から10時間経過しておりました。登り8時間という予想から大幅な遅れになってしまいましたがお風呂と夕食には間に合ったので結果オーライ。
来てから知ったのはお恥ずかしい限りですが大杉谷って富山の黒部峡谷、新潟の清津峡と並んで日本三大峡谷らしい。どうりで断崖絶壁が続き至る所に見事な滝があるわけに納得。でも、ニコニコ滝という滝までたどり着いたけどニコニコする余裕なし。既に3時間経過しているのにまだ登山口から4.8kmしか進んでおらず頂上の日出ヶ岳までは倍近くの9.3kmと表示されておりホンマに登り8時間で行けるんか。
updownがなかったのはほんの出だしだけでひたすら川沿いに進むけどupdownの連続です。せっかくしんどい思いをして登ったのにまた下ってまた登るの繰り返しで精神的にも肉体的にも参ります。マジ引くと今日も連呼しながら進みますが何か所かつり橋を渡るとようやくこの日の昼食処、桃の木小屋に12時過ぎに到着です。
こんな秘境に大きな小屋をよく建てたもんだと感心するのも束の間、ここでハプニングその1発生。ひでさんが考え抜いたプランを長文Gmailで送ってきてくれていたけど大将と小生は頭が空っぽだったようで昼食を持参してきていた。
「荷物を軽くする為にもお昼ご飯を用意してもらうから持ってこなくて良いって僕言ってましたよね」とやや大きな声で呆れられたけど大将は「そうでしたっけ」と意に介さず。
そして追い打ちをかけるようにハプニングその2発生。ひでさんが小屋の人に「お弁当を頼んでいた者です」と名乗り出るもうちは宿泊者にはお弁当を用意するけど宿泊者以外には対応していないと。ここでもひでさんは
「電話で宿泊しないけどお弁当だけお願いしても良いですよねと聞いてOKと言われていましたよね」といつもより大きな声ですが理詰めで問い詰めておられた。どうやらおばあちゃんが受けていたようですが勘違いされていたみたいでしっかり本日の宿泊者になっていた。さすがに大将のような意に介さない反応ではなく今から作るから30分時間をくれとの事。30分待つか手持ちの行動食で済ませるか。このペースだとtotalで9時間近くかかる危険があり少しでも進むためにも手持ちの行動食で済ます事に。
小屋では真昼間から山ガール3人がテーブルで持参のクッカーで調理しサッポロ黒ラベルの缶がピラミッド状に積み重ねられる程に飲んだくれていた。そんな素敵な彼女たちの横のベンチでオッサン4人が昼食となりましたが勘違いしていた大将がたくさん持ってきていたおにぎりを我々に配ってくれ食つなぐことが出来ました。そして最後は
「俺の勘違いで昼飯食えたから良かったでしょう」と開き直っていた。
早々に桃の木小屋を出発したら七ツ釜滝というスポットを通過しますが相変わらず沢に沿った鎖場が続きます。山ガールたちは桃の木小屋に泊まって翌日に大台ケ原まで行くとの事でしたがこんな早い時間から小屋に着いてのんだくれるなんて時間が勿体ないと個人的には思ったが大将は「こんな真昼間から山小屋で飲んだくれて最高じゃないですか。そういやうちら宿泊者に入っていたから今日は山ガールと一緒に飲んで泊まって翌朝そのまま駐車場戻るのもありかもしれん」と言っていたけど何しにここまで来たのか意味が分からんという事で即却下となっていた。
沢を離れて岩場をよじ登ったらいよいよ登山モードオンリーかと思いきやまた下って沢に沿って歩くという繰り返し。5時間以上経過するけどまだ沢から離れず沿って歩き続けている。途中に散見したアサマリンドウという日本固有種のお花に癒しをもらいなんとか前進を続けますがどう考えても登り8時間は不可能であり何時に着くのだろうか。
登山開始から6時間で堂倉滝に到着。地図を見るとこの滝で沢とはお別れしてひたすら登りに入るみたい。槍ヶ岳の上高地ルートも梓川に沿って延々とだらだら歩くように大台ケ原の大杉谷ルートも延々と沢に沿って上り下りしていた。登って下ってまた登るというループから抜け出せるだけでホッとしましたが登山口が標高300mで6時間かけてやってきた堂倉滝付近で標高800m。が、ゴールの日出ヶ岳は標高1695mでここから一気に900mを登っていくのかと思うと気が滅入る。もっと均等に上昇させて欲しいと心の中で思いながら登攀を続けます。
途中の粟谷小屋という宿泊施設で小休憩。ケチって自分は何も買わなかったけど皆さんはコーラとかを購入していたけど山価格でも300円だからまだ良心的か。粟谷小屋以降も急登が続きますが頂上までかなり近付いているのを実感。
そして登る事9時間弱。ある地点を境に下草が熊笹となり見慣れた大台ケ原の山頂付近の景色が目の前に拡がります。もうここは山頂エリアに入ったんだと実感しながらあと少しで頂上と最後の力を振り絞って進みます。この日の日没は17時22分でしたが既に陽が落ちている雰囲気。きっと既に雲に遮られているのでしょう。どのみち日没時間までには頂上にたどり着けませんでしたが登山開始から9時間強で日出ヶ岳1695mに登頂完了。
夕陽に染まる正木峠と熊野灘を眺め山頂におられたライダーさんに記念撮影をしてもらいましたが強風吹きすさび激寒。トワイライトタイムで空の色の変化を楽しみたかったけど宿からはまだ着かないのかと心配の電話もあり早々に心・湯治館に向けて下山します。結局宿には陽が完全に落ちた18時過ぎに到着し登山開始から10時間経過しておりました。登り8時間という予想から大幅な遅れになってしまいましたがお風呂と夕食には間に合ったので結果オーライ。
宿に着いたらまずお風呂というのが登山だろうがtouringだろうがルーチンとなっていますがここでもハプニングその3発生。またしても大将が「そういや浴衣とかないんですかね」と聞いてきた。ここでもひでさんは
「アメニティとかないから全て持参して来て下さいって僕言ってましたよね。mailに書いてましたよね」と今回もやや大きな声で呆れ気味に答えていたけど大将は「そうでしたっけ」と相変わらず意に介さず。そんなやり取りをしながらオッサン四人でお風呂で汗を流してさっぱりさせたらあとは腹を満たすのみ。と、ここでまたしてもハプニングその4発生。夕食では相変わらず大将はビールをがぶ飲みして速攻でビールのお代わりをしたけど急にフリーズして顔面真っ青口唇チアノーゼ。登山で先頭を切ってびゅんびゅん飛ばした疲労のせいか酔いが急激に回ったらしい。食事も残して部屋に戻って服を着こんで寝込んでしまわれた。明日は大将の仕事の関係で13時までには駐車場に戻らなければならず5時に出発しても8時間で下山しなければなりません。しかし登りで10時間もかかり下りもつるつる滑る岩場で時間が相当必要と思われ8時間で下山は到底不可能です。そして大将の体調不良化もありどうしたものか困った。
ここでMr.谷川岳がタクシーで戻るのはどうでしょうかと提案。いつも小生がバスとかタクシーで下山を希望しても即却下されてしまいますが今回は疲労困憊も相まってか「ナイスアイデア!!」と一斉にその案に飛びついていた。食堂のおばちゃんからは「大杉谷からの登りで10時間は早い方よ、健脚ねー下山も気を付けてね」と話していたけどそのおばちゃんにやっぱタクシーで下山することにしたからと予約の電話番号を聞いた時は少しばつが悪かった。
当初は新月の夜だから星空観賞ナイトウォークと言っていたけど大将以外も疲労困憊と寒さでナイトウォークどころやない。大将はトイレに駆け込んで胃の中身を全部リバースされその後も眠り続けています。とりあえず駐車場から星空だけでもと残りで外に出ましたが寒い寒いと一瞬で部屋に戻り21時には消灯おやすみなさい。
翌朝の日の出は6時。タクシーは7時に宿まで迎えに来てくれる事になり早朝下山する必要もなかったので寝続けようと思ったら一晩寝て復活した大将が日の出を見に行こうと言われる。宿から日出ヶ岳まで往復で1時間強かかるので日の出を見たら戻ってそのままタクシーに乗れるように荷造りして5時半にチェックアウト。
既に空はかなり白んでいますが朝靄か厚雲の両方で視界が悪い。こんな状態で行っても期待薄ですがタクシーを待つだけでありとりあえず向かってみます。山頂までの途中の展望台に着いたら既に陽は昇り厚雲の中に吸い込まれた瞬間でまぢタイミングの悪さに引く。日出ヶ岳山頂はガスで覆われていたので結局途中の展望台で受け取ったお弁当を食べて朝食を済ませしばし厚雲の中を昇る太陽を見つめます。朝靄と朝日に染まる熊野灘と紀州の山々を眺めていたら06時20分を回っており再び宿まで戻ります。
本当はのんびり9時にお迎えに来てもらって下山しようと思っていましたが先約の時間もあり7時のお迎えになった川上タクシー。
7時前に4代目プリウスが宿の前にやってきました。大将は立派なタクシーが来てくれたと喜んでいたが乗り込んだら思ったより狭いと御不満。
でもオッサンサンドで3時間真ん中に座っていた自分的には・・・。
大台ケ原山頂から大杉谷登山口まで車で3時間。3時間もあったら新幹線で京都から東京まで行ってもお釣りがきます。大杉谷は本当に辺鄙な場所であり直線距離はたったの約8km程度と近いけど道がなく、ぐるりと北側を経由してぐるりと大回りしなければならず大台ケ原から車で3時間もかかるのでした。そして3時間もタクシーに乗り続けるという事は・・・。
お会計は47210円也・・・。
ケチってタクシーに乗る事なんてないしこんなメーターも見た事ないから思わず記念撮影。でも大台ケ原まで迎えに来てくれてまた空気を乗せてまた3時間かけて奈良まで戻るおじいちゃんドライバーに感謝。なんでも午後は奥さんを眼科に連れていくそうで嫁さん孝行せにゃあかんと仰っていた素敵なおじいちゃん。
さて、というかひでさんがモデルケースにした大杉谷から日帰りで大台ケ原に登った人ってどんな人やろと思いYAMAPでその人のプロフを見てみたら・・・。登った山は1700以上という我々なんぞはミジンコのような存在でしかないようなレベルが違いすぎる人だった。そんなハイレベルな人をモデルケースにしてしまいましたが大台ケ原は大杉谷から登るなら2泊3日という長丁場というのが通常のようです。今回は大将の仕事がなければ1泊2日でものんびり大杉谷まで下山出来たはずですが晴れていたら単車で来ていた事になりもっと悲惨なことになっていたでしょう。
大将、Mr.谷川岳と現地でお別れし京都には14時前には到着。ひでさんと優雅にランチをしながら「徒歩で下山していたら今頃はまだ鎖場で苦労している事でしょうねー」とかお話しして我々も解散。
今回の出費は往復交通費とガソリン代で6000円、宿代とか12000円、タクシー代11800円で計29800円でした。
追記
別れ際になかなか大将が車を発進させず出れずにいたひでさんカー。何をしてるんだと思っていたらおもむろに降りてきてこっちに向かってきます。何事かと思ったら「そういや槍ヶ岳の時のお土産を車に忘れてたけど今日持ってきてくれるって言っていませんでしたっけ」と。別れ際にいきなり言われたけど記憶の片隅にもない。思わず「そうでしたっけ」と答えてしまったけど最後までちぐはぐな三人でありました。
おしまい
おしまい
0 件のコメント:
コメントを投稿