2022年9月28日水曜日

【関西本線日帰り乗り鉄備忘録】 22'9/27

今月は27日に有給を取り何処かへ行こうと約束をしていましたが当初は一筆書き乗車による乗り鉄旅を予定。
と、ひでさんが関西本線に乗って三岐鉄道に乗って名古屋まで行きませんかと企画立案。
JR湖西線、草津線でまだ現役の113系に高校時代揺られながら通学していたそうでその子に乗るという目的もあり草津線経由で名古屋方面を目指す事に。



京都駅8時21分発の新快速米原行きに乗って草津で草津線に乗り換え予定。
地下鉄から待ち合わせの京都駅0番ホームまで移動しますが曇り/雨予報に反して青空もまだ見えています。


なんで1200年の都にこんなデザインの駅ビルにしてしまったんだろうと毎回思わされる京都駅ビルを見上げながらいざ京都駅へ入構。
ひでさんは京都駅8時15分着の嵯峨野線で来られたのでほどなく0番乗り場で合流し新快速に乗り込みまずは草津駅へ移動します。当初一番前で待ち合わせ予定でしたが前4両は京都駅で切り離されて湖西線経由の敦賀行き、後ろ8両が琵琶湖線経由米原行きでしたので結果として後ろで待ち合わせして良かった。



最新の225系に乗車して草津駅へ着きますが草津線のホームに行く人はほとんどおらん。ホームにはピーマンの113系がちょこんと停まっています。
ひでさんは緑とオレンジの湘南カラーで通学していたからそれに乗るつもりだったようですが絶滅してピーマンオンリー。
直角のボックスシートも期待されていましたが体質改善により車内は223系とか221系のシートと同じようであまり113系に乗っている感がしない。


敢えて113系が運用されているダイヤを調べて乗り込んだけどあんまそんな実感がしませんねとボヤキながらも草津駅を出発。
8時57分発でしたが上り列車が遅れているとの事で9時過ぎの出発となりました。
ガラガラの車内からのんびりと車窓からのどかな風景を眺め10時前に終点柘植駅に到着。


大昔は名古屋から大阪への直通列車や貨物もあり伊賀の代表駅として栄えた面影が線路の多さからも偲ばれますが現在はさびれ切っています。
柘植から亀山行きまでの乗り継ぎ時間は1時間弱あるので途中下車して駅前を散策しようとしましたが全くもって何もない。なんでも柘植駅は三重県初の駅だそうで歴史があります。駅構内も伊賀だけに忍者押しが随所に見られ乗り継ぎ待ちものんびり雰囲気を楽しむ事が出来て良かった。






113系乗り鉄を楽しむのが今回の旅の趣旨でもあり1時間弱の乗り継ぎ待ちがあったけど朝早くから出発。
が、蓋を開けてみたら乗り継ぎ10分で済む次の列車も113系だった。頑張って早起きしなくても良かったけど結果として柘植駅を満喫できて良かったと思います。何事もプラス思考が大切。そうこうしていたら亀山行きのキハが送り込まれてきたので乗車し10時40分に亀山に向けて出発。


伊賀の山中を越えていくのでディーゼルエンジンが唸りをあげます。ひでさんはバスに乗っているみたいと鉄道旅を楽しんでおられる。
ディーゼルカーでの鉄旅は25分弱で終了し亀山駅に到着です。ここからはJR西日本からオレンジ色のJR東海へ移管します。
ICカードで乗車していたら他社線はまたげないという不便な事があるので一度改札を出て再度入り直します。


ここからはJR東海の313系に乗り換えて三岐鉄道の乗り換え駅の富田駅まで移動します。
快速に乗ったので四日市駅で下車して普通に乗り換え。四日市駅も近鉄四日市と異なり工業地帯寄りでほとんど貨物駅の雰囲気でさびれ切っています。



四日市から2駅の富田駅で下車。
こちらは三岐鉄道から直接セメントや石灰貨物が乗り入れる地点ですが三岐鉄道の旅客便は近鉄富田駅まで行かなければなりません。



最近は16時間絶食健康法を取り入れて19時の夕食後は11時の昼食まで水かお茶以外を摂らないようにしていますが富田駅に着いた時点で12時30分頃で低血糖でしんどい。が、これまで駅弁を買おうにも柘植、亀山含めてなにもない。

ローカル線の旅は駅弁という固定観念が自分の中に根付いているけど現世の旅は旅情もくそもあったもんやありません。
近鉄富田方面にとぼとぼ歩きますがやはりなんもない。と、駅前におにぎり屋さんを発見したのでおにぎりを買い込んで気を取り直し三岐鉄道に乗車します。

三岐鉄道はセメント輸送をして四日市の太平洋セメント(日本最大のセメント会社)まで運んでおり以前に四日市まで撮影しに行った事があるけど乗るのは初めて。因みに筆頭株主は太平洋セメントという事だが納得。セメント列車は2018年3月に撮影しに行ったのがラストでした。
重要文化財である末広橋梁を渡り入れ替えが行われ太平洋セメントのヤードへ。




話が脱線しましたが近鉄富田駅の同一ホームに三岐鉄道三岐線の列車が停まっておりのんびりと目的地の丹生川駅を目指します。



名古屋まで行くのにわざわざ三岐鉄道に乗り換えたのはひでさんが丹生川駅に貨物鉄道博物館なるものがあるのをリサーチし、そこに行きたいと言われたから。京都に住んでいるからいつでも立派で新しい京都鉄道博物館に行けるけど敢えて三岐鉄道にある貨物鉄道博物館をチョイスしたところが渋い。
なら挑んでみようと敢えて下調べもせずに行ってみます。
途中保々駅でセメント列車との離合もありますが貸し切り状態で沿線の彼岸花と藤原岳をながめながら進みます。




13時10分頃に目的地の丹生川駅に到着しましたが博物館を思わせる建物が何処にも見当たらん。

留置線には色々な貨車が置かれているので恐らく博物館の展示物の一部なのだろうと薄々感じましたが。


貨車の先にトタン屋根の倉庫みたいな建物が見える。ひでさんは倉庫にしか見えんと言って下車して近づいてみますが・・・。
ここが目的地の貨物鉄道博物館だった。



けどシャッターも閉じて開館している気配がない。と、ひでさんがニヤニヤしながら何やら指さしている。



次回開館日は10月2日らしい・・・。ここまで来て素敵なオチでしたが外に展示されている貨車たちを間近で見る事が出来て良かったです。
入館料も無料のようでこのように貴重な貨車を引き取り展示してもらえるのは素晴らしい事だと思いました。特大貨物のシキもピカピカの状態で留置されていたのに驚きでしたが途中でセメント列車もやってきて蕎麦の花と藤原岳と共に走り去る姿も見る事が出来ました。



ひでさんはここで2時間くらい滞在して名古屋には夜に移動と思っていたらしいけど滞在は20分で終わってしもた。仮に開館していたとしても2時間滞在は絶対無理やろと内心思ったけど取り敢えず名古屋に移動しましょうとなり今度は三岐鉄道の北勢線に乗るべくとぼとぼと北勢線鉛線まで歩いて移動。低血糖と脱水のせいか頭痛と口喝が激しかったけど何故か遠回りして5kmを1時間かけて移動して北勢線の終点阿下喜駅まで移動。阿下喜は先々月の鈴鹿山脈御池岳登山の時に来たけどまた来るとは思わなんだ。
ぐったりして15時01分発の西桑名行きに乗りますがこちらの線路は全国的に珍しいナローゲージの線路で車体も横幅が狭く細い可愛らしい列車。



ついこないだまで近鉄だった気がするけど赤字路線で手放され三岐鉄道になっていた模様。元を辿れば三重交通の時であったりとか経営母体はコロコロ変わっていたようですが味のある列車でした。北勢線も楽しみましょうとわざわざ1時間歩いて乗ったけど二人ともぐったり疲労して乗車中はほとんど寝て終わってしまった。終点の西桑名駅でお隣の桑名駅から今度は敢えてJRではなく近鉄に乗り換えて名古屋に到着。
近鉄名古屋駅の正面改札はこじんまり。



名古屋駅と言えばナナちゃん人形ですが今の時期は名古屋まつりバージョンになっていた。いつ帰るかわからんと宣言して家を出たけどまだ17時前。
後々の事を考えてお互い今日は早く帰宅しましょうとなり手っ取り早くJR名古屋駅構内の味仙で名古屋飯を感じる事にします。



ひでさんは手羽先を食べたいと言っていたけど世界のやまちゃんは京都にも数年前からあるので行った事のない味仙へ。
個人的に大学時代によく行っていた風来坊も気になったけど最終的に駅構内で食べられる味仙。
鉄板の青菜、こぶくろ、にんにくチャーハンに始まったけどひでさんは辛い辛いの連発で〆の台湾ラーメンの鷹の爪をよけておられた。
大学時代は新歓で数時間味仙で食べ続けた事もあったけど今はそんな行為出来んと改めて思った。因みに帰宅して速攻で刺激に腹がやられた。
味仙も光の如く光速で飲み食いして18時前には退店。出た時には平日だけど待ちのお客さんがおられたのでびっくり。



真の乗り鉄ならまだ時間は早いので帰りは東海道線か近鉄線でのんびり京都まで戻りましょうとなったかもしれませんが迷わず新幹線。
あれだけローカル線良いですねーと行きは言っていたけどいざ新幹線に乗ると早くて快適で最高ですを二人とも連発して京都まで30分ちょっとで戻ったとさ・・・。


甘いものを食べたら辛い物が恋しくもなるようにのんびり鉄道旅も良し、新幹線でタイムイズマネー鉄道旅も良し、と思いながらひでさんとお別れして地下鉄に乗って帰宅。

おしまい

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